最初から私は発信などしたくなかった。
ましてや、有名になどなりたくない。
私は小学生中学年から2ちゃんねるを見てきたが、当時から今に至るまでずっとROM専でいた。
中学生の頃、クラスメイトがSNSを使い始めた。当時は、Twitterやmixiだった。
私は何となく嫌な予感はしていた。
確かに色々な情報に触れられるのでその点では有難い。また、他人と思い出を共有できることは嬉しい。
しかし一方でこれ以上人間と繋がるのか、と気色悪さを感じていた。
また、嫉妬や憎悪といった人間の負の感情を増強するためのツールとして使われるのでもないかと疑念を持ったことも。
今でも私は、LINE以外のSNSには強い忌避感を抱いている。
しかし、SNSでの発信無しに現代の若者が成り上がるのはかなり困難なのだ。故に好き嫌いを抜きにしてやらなければならない。
鍵垢にして、クラスメートと好きなアーティストだけをフォローして見ているならまだいい。
何せ、本来は恐ろしい世界でもある。アフリカのサバンナのような世界だ。
常に飢えていて、自らの爪牙の手入れを磨き上げ、虎視眈々と獲物を探している肉食獣がいる。
そして自らの憂さ晴らしのために、スケープゴートを探し、見つけ出したならば正義による制裁という名の暴力を下すのだ。
無残な状態になった対象にも、ハイエナは寄ってくる。
【有名になるという痛み】
最近になって、著名人の自殺が目につく。
原因の1つはインターネット(特にSNS)なのではないか。
テレビということで、従来はテレビや週刊誌といったマスメディア媒体に、新しくインターネットが加わる。
そうなると、ストレスは半端ないのではないだろうか。
比較的新しい存在であるYouTuberも、同じ轍を踏み始めている。
そのような場所でやっていくならば、
本当の意味で心を開くことができる友人が1人は必要になるのだろう。
そんな人は1人もいない、という人は、現代日本には少なくないのではないか。
SNSや掲示板などのネット上だけではなく、リアルな世界に持ち込んでいく必要がある。
華やかに見えて人に囲まれているように見える芸能人であっても、いない者は少なくないのではないか。
木村花も、三浦春馬も、神田沙也加も、上島竜兵も、いなかったか、いても悩みを言えなかったのかもしれない。
日本においては、
5chやヤフコメといった内戦地に自ら足を踏み入れなければ、燻っているところに遭遇する可能性は低い。
勿論、自らが燃料を注がなければの話だが。
自分の名が知れるにあたって、最低でも1人は上記のような人が必要なのではないか。
尤も、旧来のネットよりもSNSの方が開けており、共感してくれる者に現実世界で出会いやすいのだから、かつてよりはマシなのかもしれない。