動け。

思ったことがある。


ルサンチマン(恨み)というものは俺の中には染み付いている所があり、それは表面には普段は出ないものの、無意識下では根を張っているようである。


社会的人間、ビジネス的人間とは違う

社会的・経済的に上位に立つ、チヤホヤされる、人気者になる、金持ちになる、出世する、社会的に良いものを生み出したい

といった欲求及びそれを持つものを遠回しに冷笑している自分。

そんなものに価値あんの?という思い。

そんな汚い自分がいることは既に自覚してければならないのでしょう。

恵まれた環境に置かれていなかった故。

 同調圧力が、義務教育の人形焼きがなければどれだけ幸せだっただろう。


そして、タチの悪いことに、特に改善したいと思ってない。


そんなゲスい思想を心の内に秘めている訳だが、それを既に自覚している。

やはり、そんな社会的な人間と関わると申し訳なさを感じるのだ。水を差しているのではないか、と。


また、この恨みの解消法を俺は知らない(いや、解消法などないのかも)

直接本人と対話して、相手に非を認めるように言って謝罪してもらったとしても、それで今までの恨みの感情は消えないと思う。された事は記憶されている、また、記憶により作られた無意識はそう簡単に治らない。

本人との対話は現実的ではない。


そういう酷い目に遭わされたから、俺は哲学に逃げたのかも。

そして今までの事が腑に落ちた。


自分が行動することにより、価値と無意識を上書きするしか解決法はない。

それに気付かされた。