(集団に馴染んでいる彼らからは)発達障害、社会不適合者の烙印を押されると思うが、集団主義的なものにどうしても馴染めない。
何かの拍子にではない。生まれつきそうなのだ。
中高生の頃には流石にこれは良くないと思った。無視出来なくなり、克服しようと努力したが徒労に終わった。
この傾向は大人になった今でも治っていない。
会社・組織の飲み会でも、どうしても浮いてしまう。相手側にも、僕の楽しくなさそうな空気が伝わるからか、僕は誘われなくなる。
そういった場であっても、最初の1、2回は特に問題なくそれなりに社交的に振る舞うことも可能だ。しかし何回かやると、相手が素を開放して馴れ馴れしい態度を取ってくるなどの理由から嫌気が差してくるのだ。
(相手も薄々感じていると思うが)一緒に参加している者に対して、みんなで楽しくやっている中に水を差すようで申し訳ないと思うことが多くなり僕のほうから拒否するようになる。
学生時代は、ヤンキー、パリピ気質の陽キャにも、オタク(サブカル)の陰キャにも馴染めなかった。
オタク(サブカル)のコンテンツに対して興味を持つようになっても人付き合いは変わらなかった。オタク仲間とは気が合わないと感じることが多く、苦痛になって自分から離れたのだった。作品の構成に関心はあるが、彼らとは特に仲良くなりたいと思っていないのだろう。
ネットやSNSも、ここも僕の居場所ではないなと思った。
それを継続してやってる彼(女)らは、そのツールによって承認欲求を満たすことができ、自分の周りに人がいるという錯覚を感じて、他人と繋がっているという感覚が快になるから続けているんだと思う。それらは、本人がメンヘラであっても、お互いに顔を合わせてなくても、仲が悪くても、一緒にやり取りできる相手がいれば成り立つ。僕には、わざわざやり取りしたいという念がない。
流石に僕であっても、気心知れた仲間間で飲むことは楽しい。1人や2人が相手なら全然気にならない。だが大人数になると感覚的に無理だ。過去の思い出とかをほじくり返して、ああだったなと言いながら笑うというのは好きではないが。
そもそもの理由を考えてみる。
僕は、他人といても快の感情をあまり感じないからである。生まれつき、1人で何かを集中してすることが好きなのである。そして、その間は他人に対してなるべくは邪魔してもらいたくないのである。
幼稚園の学芸会?のときにはひとりで作った紙工作を披露したくらいである。小中学生の時も、休み時間は読書したり、宿題をこなしていたくらい。
両親に、もっと人といるように言われるのが凄く腹立たしかった。
そもそも、群れることが苦手なのだ。
幼少の物心ついた時から、人が怖かった。人と違うところが多かったから。体育は苦手。学園祭や修学旅行も出来れば参加したくない。本や勉強が好きだった。家でプラモデルなどを作ることが好きだった。
こうして、僕は個人主義的な、ひとりでいても問題のない性質を深めていったのだった。
だが集団に属して安心している者よ、そなたらも決して安泰ではないんだよ。集団は、互いに監視し合う。みんなが同じになるように仕向ける空気がある。そして、異なるものを排除する。この人はこんなことをしたと密告する。いじめがある。組織とは、全ての人を同じ色に染めたがる。上の指示は絶対だ。だから、所属する者は互いに顔色を伺い、感情と欲望を抑制して辞令を並べながらやり繰りしているのだ。息苦しくても文句は言えないよ。
今、僕はあまり他人と関わらなくて済む仕事についているので嬉しい。学生時代が頂点だと言っている人間には理解出来ないと思うが、はっきり言って今の環境に感謝している。
ひとりこそ至高よ